悲しい仕事について
先日ツイッターのつぶやきで、
働いているなら雇用形態はなんでもよいのだ 「働いているか」「働いていないか」が問題 いわんや職種バカにしてる人間を、誰に笑われても俺はそいつを軽蔑するつもり
とツイートしたのだが、俺は本当に仕事をバカにしてる奴とは友達になりたくないし、結婚もしたくない。
仕事なんかしたくない・・・というのはまだ許せる。
そりゃしたくないと思う。でも、人生は暇つぶしの連続であって、大金があれば仕事なんかしたくない、という奴ほど金が入っても大して「遊べなかったり」するものだ。
本当に無職じゃなきゃなんでもいいじゃないか、というのが本当の教育だと思う。
ただし・・・
以前コールセンターの仕事をしたことがあった。その仕事は各家庭に電話してこういうのだ。
「靴一足でもいいからいらないものありますか?」
とね。しかし古くてしょぼい靴なんて金にならない。とにかくアポを取って家にまでいくのだが、目的はもちろん靴ではない。
玄関先に行って、金属類(ネックレス、アクセサリー、時計)をどうにか出してもらおうという仕事だ。
いきなり、
「貴金属の買取なんですが」
と電話したら怪しまれるので、いらない靴なのである。
そこまではよかった。しかし、研修のときに聞かされた。
「30代40代50代の若い女性は無理なので60代以上の女性にしよう」
とね。
しかし30代~50代の女が若いとは思えないのだが、不思議に思っていた俺は、研修室から現在勤務している人々の声がたまに聞こえてくるのだが、休憩後のミーティングだろう。せっせとメモを取っていた腕が止まってしまった。いや、止まったというより氷ついたといっていい。
「おばあちゃんを狙うように」
なるほど、それじゃ50代女性も若者だ。
要するに、ネックレスもつけなくなって、オシャレから程遠いおばあちゃんなら、貴金属が家に眠ってるだろうし、相場もごまかして、買い取っちゃえ!という魂胆なんだろう。
俺は営業には自信があった。しかし、おばあちゃんだましてまで仕事はしたくない。
そもそもこれも仕事なのであろうか?
俺はその日の夜メールで、老人をターゲットにするような仕事は出来ないので、やめますと送った。
女だらけの学校と職場
これ地獄ね。
「職場に女がいないから出会いがない」
という男はいっそ、結婚のために女だらけの職場に行ってみたほうがいい。
下手すると「ホモ」もいいなと思うかもしれない。
理由?
書けないよ。だってここの文字数少なすぎるもの。
言ったろ?俺がここの番長だって。
俺より文章うまい奴は沢山いるが、うまいだけ、悪いけど。
漫画でもあるよね、うまいだけってのが。
女だらけより職場にたった一人の女子がいい。
女を最初に花にたとえた奴は天才というけど、花だよ、花。
というわけで、女子高も女子だらけの職場は、女にとっては楽しいかもしれないが、男は「モテても」「モテなくても」いいもんじゃないぞー
買った宝くじをすぐ捨てれるか?
別に馬券でもいいのだが、ハズれる確立の方が高いはずなのに買ったばかりの券は大事だよね。
残りの人生も大してなにもないだろう、とわかっていながらも「生きる」というのは、やっぱり少し期待しているのだと思う。
もしかしたら・・・本当にもしかしたら
どんな不幸者にも明日があるだけ今日は許されてしまうというね。
明日こそは何かあるのでは?
この繰り返しで生きてきたように思う。そして明日も今日と同じように何もないのである。
ある日不幸が訪れたときに悟るのである。
「ああ。昨日までのなんでもない日々が幸せだったのか!」
とね。
波の立たない日々というのは実はとっても幸せな状態なんだと思う。退屈や暇というのは幸福な人のみに与えられる感情だ。
こんなはなしがある。
「誰かが神様に(友達がほしい)と言ったら神様はみんなに友達を与えてくれた」
「誰かが神様に(恋人がほしい)と言ったら神様はみんなに恋人を与えてくれた」
「誰かが神様に(お金がほしい)と言ったら神様はみんなにお金を与えてくれた」
そして、
「誰かが神様に(生きがいがほしい)と言ったら神様はみんなからそれら全てを奪い取った」
たった一人の欲しいものを与えるために、神様は0の状態に戻したのである。
宝くじを買って、ぼーっと当選日まで待てるうちは幸せだ。本当に金が必要な人はそれどころではない。
友達も恋人も仕事も全て自分でつかむものだ。全て与えられた上に「生きがい」までほしいとは図々しい話だ。
毎日漠然と、
「向こうからやってこないかな」
と思ってるうちは生きがいもなにもあったものではない。
明日こそは、本当に明日こそは!
そう思いながら生きてる人のなんと多いことか。決して、
「今日こそは」
ではないのだ。いつも明日なのである。
しかし残りの人生がハズレだとわかっていても、生きれるのはこの期待のお陰だ。この根拠のない期待感は自殺を回避してくれている。
買ったばかりの宝くじ。決して当たらないとわかっていても捨てれないのは、可能性があるからなんだね。
買ってすぐにさっさと捨てれる人は、さっさと死ねる人なんだと思う。
万事、明日こそは! なのである。
ライブドアブログの番長は俺だ!
七年も前から血便だった。
ちょうどPCを買ったあたりから。
そもそもPCを買った理由は男子におなじみのエロと、mixiを携帯ではなくPCから日記を書きたいと思ったからだ。
仕事以外は座りっぱなしになった。
血便の理由は痔なのだが、痔になるくらい座ってPCやっていたといってもいい。
特にエロなら用?がすめば終わるが笑
日記を書くのには推敲に推敲を重ねて書いていたので、本当に楽しくてそして苦しかった。
最近改めてはてなブログの人々の日記を見てみたのだが・・・
なんか当時のmixiに似てるなーって気がしたね笑
アメブロだと「ツイッターのつぶやき長くした感じ」のブログなのだが、はてなの方は凝ってる人が多い。
写真ばっかのっけて、ペタペタ広告載せてるブログは嫌いでねー
なんか自分の好きなものでいいから、徹底的に書いてる人が好きだわ
俺は一応音楽ライターしてたくせに、文才とかないしさ。でも一途というのかな?
なんでもいいからこれだけは好きだぜ!って思って書いてる人が多いと感じたね
今後ブロガーなんて生活できないし(断言)それでもブログマンが残るとしたら、この専門家(ブログなんだし自称でよい)が生き残るだろう
下手くそでもいい。それこそ痔になるまで書くことに執着してる人が好きだ!
SEO対策なんかよりももっと大切なものを忘れてる人のブログって、Web画面からモロに伝わってくる
それで、文才もなきゃまとめ方も知らない男なんだけどさ・・・笑
七年間毎回血便をしていた俺がついに手術をおとといしたんだよね。俺は看護師である母親に常々言っていたんだよ。
「何科がいやだって肛門科くらい敷居高いとこないね。ケツの穴だぜ?あんなの見せるくらいなら死んだほうがマシだっての。それに医者も肛門科を目指すなんてよっぽどの変わり者だよ。なんせケツの穴だぜ?」
実際肛門科はみんなもそうであるように、恥ずかしさから、かなりの重症になるまで来ないという。しかも不潔な部分だからなおさら症状が悪化してやってくるようだ。
俺も同じだった。
いざ病院行くと、ただ指を入れられただけで叫びそうなほど痛い。
その痛いところに、なんか筒みたいなの入れて、痔の一つ一つに注射するという。
それはそれは想像どうりの痛さだった。
あまつさえ。切るのは痛いから注射で小さくしようという結果になったのだが、注射したあとの痛みときたら虫歯なんかかわいいもんだよってくらい痛い。
ほいで昨日と今日の昼と痛みに耐えながら寝ていて、PCの前に座れなかったんだけどさ。
痛みも取れましてね。医者というのはありがたいですわ。。。
もう絶好調! よく何事も体力次第というが、物書きはケツ次第よ笑
また痔になるのもいやだから、ギターみたいにストラップつけてPCやろうかとか考えたが笑 なかなかの発明だと思うが、なんにせよ今後は痔にならぬように心がける。
だがしかし・・・痔はギター弾きが指に血豆を作るようなものじゃん!
むかしならペンだこだ。
勲章じゃん・・・痔・・・
さっき今後は自称でもいいから、専門的なことを書く奴だけが残ると言ったが・・・
俺は痔について書くかな笑笑
というわけでタイトルと全然違う話しだったが、痔になるくらい頑張ろう、同士よ!
実はブログアクセス50以上はエリートだった!?
前回は「デュラララチャット連載ブログ」を数回に渡って書いたのだが、すごく狭い世界のことを書いたのだが、最もアクセスが多かったというね笑
再び「なんでも書く」という姿勢で記事を書いていきたいと思う。まあタイトル通り喜怒哀楽を写真機の心で、一瞬の出来事を逃さない精神でいけば毎日書くことは山ほどあるわけでね。
喜怒哀楽
ニヤニヤ喜びます プンプン怒ります メソメソ哀しみます ワイワイ楽しみます
この精神で頑張らず(これ本当に大事)続けていきます。
mixiで書いてた頃はブロガーやアフィなんて言葉はなかったし、記事が金になるなんてことを考えてる奴もいなかったと思う。
少なくとも俺はそうだった。
そして俺は仕事よりも必死に毎日、mixiの日記を書いていた。
この数日なんか気持ちが↓の状態で・・・
今までの自分に反省ばかりしていました。
全部中途半端だったなーとね。
そして残念ながら(これ本当に大事)今後も中途半端な人生を送っていくのだろうなと思った。
もう中学生の頃のような万能感はないので、諦める事が多くなったし、笑顔であきらめる(これ本当に大事)ことの素晴らしさがわかってきたのだ。
しかし・・・
一生無名のまんまでいいし、大金持ちにならなくてもいいから、何か一つ自分に対して胸をはれるものがないか?と考えたんだけど・・・
まあ俺はもともと、ギター弾きだし、メジャーデビューした一応元芸能人だし(これ本当に大事)打ち込むものはあったし、今でもあるのだがまだまだ探しているのである。
その結果がやっぱ俺流の「コラム」なのではないかという結論に到っしたのだ。
でも今ブログを始める人というのは、「お小遣い稼ぎのため」だったり、デザインがどうの、なにがどうの・・・純粋に書くという気持ちが一番最後にきてるんじゃないかと思う。
俺はただ書ければいい。だから今までデザインもブログ説明もどうでもよかったし、いじらなかった。
しかしある記事を読んでみたり、実際調べてみると驚いた。
それがタイトルにあるように「アクセス50以上」の人って三割くらいで、七割が50以下だというね。
俺はもっとみんなすごいのかと思っていたら、実は俺はいい方だとわかったわけだ。
それで単純な性格なので、
「今度こそ毎日書くぞ」
と誓ったわけだ。
そんなわけで、デザインとかいじってみたけど気分がいい。
本当に単純だけど人間って実は、自己評価以上だったりするのかなと思ったね。
みんなブログ始めても「書くネタがない」「面倒くさい」でやめてしまう人がほとんどだが、俺は面倒くさくないし、書く事たくさんあるし。
でも一番誰もが思っていたであろう、
「アクセスが少なくてバカらしくなった」
というのは俺も、いやホンマ流石のこの俺も常に思っていたのだった。でもなんかふっ切れたね。
つーか最近の俺は毎日100超えだったから大したもんなんだな(これも自慰と同じ行為だな笑)やっぱ数ヶ月書き続けた結果なんだね。なるほどブログは筋トレと同じだ。
ライブハウスにしろ、ブログにしろ、
「人がいない。聴いてくれない、見てくれないやーめた」
じゃダメなんだな。続けてさえいれば負け組にはならないってことだ。
切手のないラブレター デュラララチャット連載ブログ まとめ
先日書いたデュラララチャット連載ブログのまとめですーwww
デュラララチャット連載ブログ 1
「出会い厨について
「喧嘩厨について」
「死んでも許せない人」
「孤独で優しい喧嘩厨」
「荒らしの本物の母親が来た」
デュラララチャット連載ブログ最終回「固定部屋をぶっ潰せ!!
」