切手のないラブレター コラム

ニヤニヤ喜びます プンプン怒ります メソメソ哀しみます ワイワイ楽しみます  

デュラララチャットについて

いままで色々なチャットサイトをやってきたが、デュラララが一番面白いと思う

始めてから五年目になるが当初はみんな礼儀正しい若者が多かった

最もチャットのあいさつでもある

「こん」

と言われたときには最初わけがわからなかった。「こんにちは」「こんばんわ」の最初二文字をとって省略したのであろう。

チャットというものが初体験だった俺には、何人もいる場所に入って話すは苦痛だった

初めて自分から会話を発したとき、誰かからの返答がくるまでとても長く感じたことを今でも覚えている

そして返事が来たときにはとてもうれしかった。もしあの時誰からも返答がなく、仲間はずれにされていたらチャットをやめていたであろう。

実際そういう人だっていると思う。緊張して汗をかきながら初めてチャットをした日・・・

これを決してわすれてはいけない


 俺はデュラララ五年目だが、前はよかったなーと思う。決して懐古主義者ではないがたった数年であきらかに変わってきてると思うのだ。

それはデュラララチャットだけではなく・・・インターネットの初期の頃はユーザー同士には年上年下問わず、男女区別なくハンドルネームに「さん」付けをして敬語で会話していたというのだ。

今ではいきなり「お前」などど言ってくる輩もたくさんいるのだが、きっとそんな人でもチャットを初めてやったときには俺と同じように緊張したと思う。しかし、ある人々は言うであろう


 「たかがインターネットで緊張してバカじゃねえか」


 こういう人は現実問題として会話していないので、やはり暴言を平気でいえる。

バカ呼ばわりされても緊張感を持って話したほうが会話していても、だんだんと楽しくなってくるだろうし、会話終了したあとに残る爽やかな感覚で

「また次もチャットをしにこよう」

と思うであろう。俺から言わせれば緊張しないほうがよっぽどバカだ。

現実で考えればに見ず知らずの人が話している輪にいきなり入って


 「よおお前らはなそうぜ」


 なんて言える人は日本人にはいないであろう。いたらただ単に図々しいだけである。入ってこられた人々こそ迷惑である。


昨年2016年の夏以降、俺はチャットの闇、ネットの闇を知りたく思い忙しい中デュラララにほぼ毎日顔を出した。今までは固定の名前をもたなかったのだが、この半年はずっと同じ名前で過ごした。俺は音楽ライターとしてコラムなど書いているし、ブロガーでもあるのだが、ネットについての書き下ろしの依頼がいつきてもいいように、食い入るように言葉を吟味していた。結論から言うと、一冊の本にできるくらい色々なことがあったし、ネット用語も自ら作り出せるほどにまでどっぷりとはまってしまったのだ。ただ如何せん、俺は霞を食べて生きている身ではないのでこの辺で締めくくることにする。以後は「仕事としてのチャット」はしないつもりだ。

実際この半年は色々なことがあったのだ


 しかしそれは出来事ではない。言葉だけの世界なのであるので、バーチャルの出来事が色々あったのだ、といってもあえて過言ではない。

現実なのに現実には起こっていない出来事・・・

これこそチャットの醍醐味なのであるが、PCやスマホを消して「はいお終い」と簡単にはぬぐい切れない想いや言葉が、日常の端々にさえちょこんと顔を出す始末なのである。

今回はデュラララチャットを更に楽しむために、自分なりにまとめた事を書いてみたいと思う。


 チャットには○○厨という人が種族がいる。まあ普通の人でなければ○○厨と呼ばれるかバカ呼ばわりされるかで終わる。バカ呼ばわりなら可愛いのだが

「ガイジ」

などと呼んで、第三者からしても不愉快になるような表現をする人々も多々いる。


 デュラララチャットは朝は200人前後で昼に向かって人数も増えていくのだが、夜21時以降になると学生が押し寄せてきて、23時くらいには1000人を超えるのが常である。

1000人もいれば色々な人がいるのは当たり前だが、一般と違って所謂「普通」の人が少ない、というかもっと普通の人がいてもいいのではないか?と心配になってくる。まあタイプ別にして語ってみることにする。

デュラララチャットでは、腹の立つことや許せない人々、そして夜が明けるまで真剣に語ったこと・・・そしてなんといっても個人的な出来事として泣いてしまったこともあった。禁止ではあってもネット上で恋をして実際に会って真剣な交際をしたこともある。

チャットの世界には色々な人がいる。喧嘩を好む者、出会いを求めているものetc

次回は色々な種族を書いてみたいと思っている