切手のないラブレター コラム

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買った宝くじをすぐ捨てれるか?

別に馬券でもいいのだが、ハズれる確立の方が高いはずなのに買ったばかりの券は大事だよね。

 

残りの人生も大してなにもないだろう、とわかっていながらも「生きる」というのは、やっぱり少し期待しているのだと思う。

 

もしかしたら・・・本当にもしかしたら

 

どんな不幸者にも明日があるだけ今日は許されてしまうというね。

 

明日こそは何かあるのでは?

 

この繰り返しで生きてきたように思う。そして明日も今日と同じように何もないのである。

 

ある日不幸が訪れたときに悟るのである。

 

「ああ。昨日までのなんでもない日々が幸せだったのか!」

 

とね。

 

波の立たない日々というのは実はとっても幸せな状態なんだと思う。退屈や暇というのは幸福な人のみに与えられる感情だ。

こんなはなしがある。

 

「誰かが神様に(友達がほしい)と言ったら神様はみんなに友達を与えてくれた」

 

「誰かが神様に(恋人がほしい)と言ったら神様はみんなに恋人を与えてくれた」

 

「誰かが神様に(お金がほしい)と言ったら神様はみんなにお金を与えてくれた」

 

そして、

 

「誰かが神様に(生きがいがほしい)と言ったら神様はみんなからそれら全てを奪い取った」

 

たった一人の欲しいものを与えるために、神様は0の状態に戻したのである。

 

 

宝くじを買って、ぼーっと当選日まで待てるうちは幸せだ。本当に金が必要な人はそれどころではない。

友達も恋人も仕事も全て自分でつかむものだ。全て与えられた上に「生きがい」までほしいとは図々しい話だ。

毎日漠然と、

 

「向こうからやってこないかな」

 

と思ってるうちは生きがいもなにもあったものではない。

 

明日こそは、本当に明日こそは!

 

そう思いながら生きてる人のなんと多いことか。決して、

 

「今日こそは」

 

ではないのだ。いつも明日なのである。

 

しかし残りの人生がハズレだとわかっていても、生きれるのはこの期待のお陰だ。この根拠のない期待感は自殺を回避してくれている。

 

買ったばかりの宝くじ。決して当たらないとわかっていても捨てれないのは、可能性があるからなんだね。

買ってすぐにさっさと捨てれる人は、さっさと死ねる人なんだと思う。

 

万事、明日こそは! なのである。