死に顔美人
おととい父が死んだ 昨日実家に帰って母親と色々話したのだが、まだやはり実感がなかった そして親戚に父の知らせを入れたところ、祖母が八月に亡くなっていたという
たった二日で一緒に暮らしていた家族が死んだという知らせ・・・ しかし気の一つも変にならない自分が不思議だ
なにか動かなければ! と思うのだ
今日父の死に顔と対面した 本当に眠るように死んでいて悲しみというよりも、この人よかったな、と思えた 死を予感とていたように父は家の名義やらなにやら動いていたという やはり人というのは死期を悟ることができるのだろうか
もし死ぬ最後の日がわかっていたら、何かを感じることができるのだろうか
走馬灯のように今までの思い出が浮かんできて、楽しかったなとか
もし死ぬ前に今日が最後とわかっていたら、きっといいことばかり浮かぶだろうなと思う 生きてるときの顔よりも、死に顔美人というのも考えなきゃなと思った
土の中で永遠に同じ表情で眠るのなら、いい顔していたい 顔は心を写しだす
歯ぎしりしながら死んでいったり、苦しみの中死んでいくのは一番辛い
「死の当日まで元気だった」
という母の言葉と父の死に顔で実に気持ちが楽になった
「おかあさんの言うこと聞かないから体こわしたんだよバカヤロー」
と死に顔に向かって言った 俺にとって親父がいい顔だなと思えたのは今日が初めてかもしれない
祖母の死は明日また書こう