本当の恋は待てねぇ~待たせてる恋は本当の恋じゃない
イギリスだったかな。
「見つめるヤカンは沸かない」
という格言があったけど。
待つというのは本当に長いよね。
実は特に恋の話しではなくて、単に今俺は手紙を今日一日待ってるのだが・・・笑
でも苦しい恋した人ならタイトルを理解してると思うけどさ
太宰治の言葉にもあったな。
「幸福の便りというものは待っているときは決してこないものだ」
とね。
今の俺は待っているが、俺を待っていてくれてる人はいるであろうか?
なんてねwww
ライブドアブログpv0人~デュラチャ「切手のブログ応援する会」
mixiは今はマイミク0人だが、数年前は毎日日記書くのが楽しかった。
早く仕事終わんないかなーといった感じでいつも仕事中ボンヤリしていた。
今年の夏からはてなブログを書き始めたのだが、楽しいのは確かだが、
「書くのを待ってくれてる人」
がいないのが、いっつも心の中に空洞を作り寂しくなる。
アクセス解析を見てみると確かに固定の読者はいるようなのだが・・・
アクセスはグーグル、ヤフーの順番で次にツイッターから飛んでくるのが多い。
そして
「デュラララ・チャット」
から、日によってすごい数が伸びるときがある。
昨日、午前中にデュラチャに行ったら、突然知らない人に、
「こないだ(切手のないラブレターのブログを応援する会)という部屋があったよ」
というではないか!
むかしのmixi時代と比べて、今の固定読者というのは完全匿名で、ヘビーユーザーなのかもしれないな、と思った。
「よし、ガンバロー」
というよりも、
「たまにでもいいから書くか!」
という感じだね、今は。
前も言ったけど、アクセス50以上ってブログ書いてる人の三割もいないらしい。
だからみんなやめてしまうんだよなー
あと頑張って書いてたのが何かのはずみで消えたとき・・・鬱になるものな
鬱といえば、ライブドアブログなんて本当に毎回0人なんだから笑
フェイスブックも全く反応ないが、最近はポツポツブログ読んでくれる人もいる。
顔本はどんな人種かさえわからんけど、0人よりはわかるわな笑
さーて。自答自問してみる。
ブログは鬱のときに書けるか?あるいは躁の時に書けるか?
とりあえず1000記事書くつもり。今は短文なのは「準備期間」だからね。
1000記事書いて0だったら笑うね^^
今の犬~目から大雨
今の犬は一匹目がクリスマスイブに死んだのにちなんで、「イブ」と名づけたのだが、これは俺に実に懐いている。
この犬が死んだらどうすんだろーというくらい可愛いのだ。
死んだら号泣とか大粒の涙どころではない。
大雨だっての。
今も俺の布団でいびきをかいて寝てるが、俺の車でクソした時以外はずっと可愛がっている。
生き物って本当に情が移るよねー
二匹目の犬~犬も歩けば嫌いな人をよける
二匹目の犬もシーズーだったのであるが、これは一匹目の「ロン」の実の弟である。
いやーこの犬くらい俺に懐かなかった犬はいないねー
俺が寝てる時に一度顔を舐めに来たので、叩いて以来、死ぬまで懐かなかった。
実家を出て川崎の小島新田にいるときに、死んだと聞いたが、今回は泣きもしなかった。
犬に懐かれないなんて、優しいドロボウ以下だな、俺は・・・笑
最初の犬の死について
渋谷で住んでいるときに実家で犬を飼った、という知らせがきた。
父母の性格ではとうてい想像つかなかったのだが・・・
久々に実家に帰ってみると、シーズーだったのだが、なるほど、犬というのは家庭を明るくしてくれるものだと関心した。
その後、実家に帰り暮らし始めてから、ロンという名のこの犬が明け方に死んだ。
犬が死んで悲しい、というのは俺にとって大笑いのはずだったのだが、親父と一緒に泣いたのを覚えている。
クリスマスイブの朝だった。
ずいぶん泣いた。
ちなみに・・・親父が実際に死んだときは泣かなかったのだから、犬の死というのは本当にすごいものだ。
仕事と部活を辞めるのは同じ。帰宅部はニート!
中学の先生に、
「部活入らない奴とか部活辞め続ける奴っていうのはだいたい仕事も続いてない」
といっていたが、「俺の周りの場合」これは当てはまっている。
でも帰宅部と無職というのは今ではいささか違うかな?
でも、人間関係に力が加わっていない、というのは今も同じだろう。
小学生の有名哲学者もいるらしいが、大人が持ち上げてるだけだ。
もし、そいつが本物だったら大人になって「言葉だけのあやとり」だったと気が付くはず。
しかし、だ。
合わない仕事や部活ならサクサク辞めればいいではと思う。
サクサクやめて、サクサク新しい日々に入ろう!
ただ、古いかもだが・・・
目的のない帰宅部はニートみたいなもの。
無職ですらない。
求職者であれ!